”当たり前”と”有り難い”を意識してみませんか。

昔から音楽を聴くのが好きで、せっかく聴くなら良い音質がいい!と思い、1年ほど前に奮発してBOSEのBose QuietComfort 20iを買いました。

初めてこれで聴いた時は、ノイズキャンセリングの性能に驚きました。購入してから、ほぼ毎日使用しています。

それだけ使用頻度が高ければ、壊れてしまうのも必然です。先日、とうとう断線してしまったので、修理に出しました。

今日は、修理に出したことから感じた”当たり前”と”有り難さ”について、考えてみたいと思います。

修理の間はBose QuietComfort 20iを使えないため、他の安価なイヤホンで代用していました。正直、音質に関してはそんなに悪くないと感じました。

しかし、1週間程で新品になって戻ってきたBose QuietComfort 20iで聴いて、再度ビックリしました。

代用のイヤホンでは気づかなかった音が、ノイズキャンセリングを作動させると、ハッキリと聴こえたのです。それに周囲の音がほとんど気になりません。

日常的に使っていた時は、それらが”当たり前”になっていました。当然のようにノイズキャンセリングをオンにして、音楽を聴く。

でも修理に出している間に、そのことは”有り難い”ことなんだと感じました。

ご存知の方も多いと思いますが、”ありがたい”の語源は「有ることが難い→滅多にない、貴重である」です。

普段は僕らの周囲に当たり前のように存在するから、それらの”ありがたみ”を感じていない。そんなことって往々にしてありますよね。

例えば家族。実家で一緒に過ごしている時は、当たり前のように共に過ごして、当たり前のように話す。食事などの用意も当たり前。

しかし一人で暮らし始めると、家族のありがたみを痛感するわけです。

健康なんかもそうですよね。心身に何も問題がない時は、健康が”当たり前”だと思っています。でも何か病気になった時は、健康というものがどれだけ”有り難い”かを再確認するんです。

日々の生活で実行し続けるのは難しくても、「有ること、存在すること」に感謝できれば、毎日が少し楽しくなるのでははないかと思っています。

”当たり前”のように”有る”ことを一度見なおして、”ありがとう”と心の中でつぶやいてみてはいかがでしょうか。

んじゃまた。

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