相手にとって価値あるメディアであり続け、その先にあるモノ。

数日前、「メディアのこれから」を考える上で絶対に読みたい5冊で挙げた内田樹著『街場のメディア論』を読み終えました。

実は一度、以前読んだことがありました。ただ「メディア」にハマっている今とそこまでではない昔とでは、読み終えた後の気持ちが全然異なります。

今日は本著の内容から「コンテンツの生産者への感謝と価値あるメディアの関係」を考えてみます。

読んでいて感じる、感謝の気持ち

本著の内容は書籍名の通り「メディア論」です。テレビや新聞、また出版の業界構造に対する内田さんの鋭い考察が綴られています。

ただ僕が読んでいて、最も興味を感じると同時に「内田さん、ありがとうございます」感じたのは、自身が語る「なぜ書くか」という部分を目にした時でした。

内田さんはネット上で公開するブログの文章に対する著作権放棄をしています。その理由について以下のように述べました。

僕にとって、書くことの目的が「生計を立てること」ではなく、「ひとりでも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」だからです。もし僕の書いていることの中にわずかなりとも世界の成り立ちや人間のあり方についての掬すべき知見が含まれているなら、それをできるだけ多くの人に共有してもらいたい。僕としては、僕と意見を同じくする人の人数が多ければ多いほどありがたい。

僕も少しずつブログで書き続けてきて、「書く理由」を考えていてみると、根底には「表現欲」のようなものがあると分かりました。何を考え、どんな人間かを表したい。そのことで誰かの役に立てたらこんな嬉しいことはありません。

そのことを改めて気づかせてくれた内田さんには大切な何かを「与えてもらった」のです。本著では「贈与」という言葉で表されています。

本を書くというのは本質的には「贈与」だと僕が思っているからです。読者に対する贈り物である、と。

与えてもらったものは、必ず返さなくてはいけません。

人間であると臨むなら、贈与をしなくてはならない。贈与を受けたら返礼しなければならない。すべての人間的制度の起源にあるのはこの人類学的命令です。

この一文は自分の思想に残りそうだ、と思うほど衝撃を受けました。

次に考えたのは、「どうすることが相手にとって最大の恩返しになるか」という問題です。

相手がそれを創造した目的を考える

今回の場合、著者は文章を書く理由を既に示しています。それは既出の「ひとりでも多くの人に読んで欲しい」ということ。

受け手の一読者としてはそれに少しでも貢献をすることが「反対給付の義務」を遂行する上で考えうる最上の手段でした。

ただここで感じたのは、記事を書いて「こんな記事書きました!ありがとうございます!」と示すのだけでは不十分だということです。

もう一度、内田さんが書く動機を振り返ります。
「ひとりでも多くの人に読んで欲しい」「ひとりでも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」。

つまり読み手側が、「ひとりでも多く」の人にこの本の考え方・感じ方を適切な方法で伝える必要があります。

そしてこの記事を読んだあなたが、内田樹という人物に興味を持ち、ブログを訪れる、もしくは実際に書物を買うなどの行動を起こすことで、与えてくれた価値に対して恩返しをした、ということになります。その数は多ければ多いほどいいわけです。

今回は本ですが、全ての創作物に当てはまることではないでしょうか。世の中には多くのコンテンツがありますが、僕たちはそれらが自分に価値があると思ったら、その製作者に感謝を示すことでお互いに利があるのだと感じます。

”ありがとうの連鎖”を起こす

創り手から受け手に伝わり、次はその受け手が送り手となり新たな受け手の元へ。この「ありがとうの連鎖」を創りだすことが、メディアとしての価値に繋がることを強く感じました。

僕が言いたかったことは、人間たちの世界を成立させているのは「ありがとう」という言葉を発する人間が存在するという原事実です。価値の生成はそれより前に遡ることはできません。「ありがとう」という贈与に対する反礼の言葉、それだけが品物の価値を創造するのです。

最後に

自分が興味を持った人や何かを与えてもらった人にはお返ししたい。これは人間として元来備わった欲望かは分かりませんが、存在すると信じたいです。

少し長くなってしまいましたが、読んでくださった方の何か気付きに繋がれば幸いです。

んじゃまた。

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