”差”を感じることができるレベルの積極的解釈

Mt.Fuji

大学時代の友人と、山梨へ旅行に行ってきました。最大の目的は、ダイヤモンド富士を見ることでしたが、残念ながら拝むことは叶いませんでした。しかしながら、河口湖のほとりから富士山を眺め、その高さに圧倒され、年始に貴重な体験をすることができました。

富士山の高さ・存在感を改めて認識したお話から、人の成長について考えてみます。

とにもかくにも実際に体験したい

日本人に限らず、世界遺産として登録された富士山については一度は耳にしたという人が多いはずです。しかし、登山経験がある方や自分の目で見た方というのはそれに比べてずっと少なく、その姿を目にするのはTVや雑誌を通してというのがほとんどでしょう。

僕も多分に漏れずその1人でしたが、23年間を通して今回初めて富士山を間近で見て、鳥肌が立ちました。

圧倒的にデカイんです。こんなにも存在感があるものかと。
今はインターネットの普及で全世界各地の情報を風景を含めて容易にアクセスできるようになりましたが、原体験を大切にすることで自分が言語化できずに無意識に感じていたようなことも、表に出てくるようになったり、経験こそが重要な時代であると思います。

その高さが分かるのは、自分もある程度の高さにいてこそ

「富士山の標高は3,776メートルで日本で一番高い山です」というのは小学生の時に覚えさせられることですが、その高さをしっかりと体験するには、自分もそれないの高さから見る必要があるということに気が付きました。

ロープーウェイに登り、標高1,000mほどから富士山を見ると、こちらより遥かに高いことに驚き、「やはり富士山って高いんだ!」と感じました。

この時感じたのは、「ある人のスゴさ」に気がつくのも、その分野に自分が知識やスキルがないとわからないのと同じだということです。

例えば、野球のイチローの技術を認めない人はいないはずですが、具体的にどこがスゴイのかというのは野球未経験より経験者の方が理解できるところでしょうし、更に言えば野球が上手ければ上手いほどイチローの”ヤバさ”が明確に分かるはずです。

ありすぎる差に対しては、ほぼ何も感じることはなく他人ごとになりますが、自分がある特定領域に精通している場合、もっと言えば”しているからこそ”他者の熟練具合が感じれるということだと思います。

武蔵は山登りで自分の未熟さを再確認した

バガボンドの序盤の方で、足を負傷した武蔵が修行を兼ねて山登りをするシーンがあります。

この時武蔵は、天下無双に向かってその天分を徐々に発揮し、強敵を倒しはじめていました。
しかし、山に登った武蔵は愕然とします。

なぜならば、苦労して登った山の頂を見渡すと、周りには現在地の山の標高より高い山が無数に連なっていたからです。

ここで武蔵は改めて自分の未熟さを感じ、より一層厳しい稽古をつけることにしました。

この広い世の中、現時点で自身が努力している分野よりも優れたスキル・業績を収めている人はたくさんいます。
しかし、その”山”が高過ぎるからといって登るのを止めてしまえばそこで終わりです。

終わりに

実際に興味がある場所があるなら、やはり足を運んでみるのが最良の術だと思います。海外であってもLCCの普及で移動コストも下がっていき、障壁は薄れいていく一方です。その場での原体験こそが、自分の思想や哲学・価値観を形成する上で大きな影響を与えるものになるのではないでしょうか。

また、自分よりも優れている、敵わないと感じて悩んでいる人がいるとしたら、まずはその差を認識することができるレベルにいるということを意識してみましょう。
(もちろん、スポーツや芸術など、分野によってはどうにもならないこともあるかとは思います。)

月並みですが、努力を習慣化して2014年を飛躍の年にできるように、日々過ごしていきましょう!

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